富士市で不妊~産後骨盤矯正|CARE ROOMS - 施術者の志事について書きました。

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2012-12-07 15:22:00
中村陽の志事について書きます。

まず、幼稚園児の頃は仮面ライダーになりたかったです。
そして小学生の頃はスイミングに通っていたので、水泳の選手か、ラーメンが好きだったのでラーメン屋さんになりたかったです。学校のテストを早く終わってしまうといつも、テスト用紙の裏にラーメン屋の絵ばっかり書いていました。
高校は大学進学だけを目的に行ったので、何となく学校の先生になれたらいいなぁーくらいの気持ちでした。
なので大学受験はおおいに悩みました。
この時、子供の頃から母を揉まされて「気持ち良かったよ~、ありがとう。」という言葉が頭の中に有って鍼灸マッサージの学校にしようか迷いましたが、当時は全国で鍼灸学部の有る大学が1校しかなく、高校で選んでいた私立文系コースの科目と受験科目が合わなかったのでやめました。
それで、4年制大学の文学部国文科を卒業し、東京で1部上場の株式会社CSK(当時ゲーム...
のセガの親会社)であるソフトウェアの会社に入社しました。
と、ある程度順調に進んできましたが、入社2年目にバブル景気の崩壊という、会社が傾いてしまう大きな事がありました。
僕は本社の人事総務部という、いろいろな事が見える部署にいたので気持ち的に辛くなり、静岡の印刷会社に、やはり人事部として転職しました。
印刷会社では、人事部だけど印刷の内容を勉強する為、3年かけて営業から生産管理、工場のラインをすべて回りました。
そして3年たった時に、また大きな出来事が僕の人生を変えました
1995年1月17日の阪神淡路大震災です。
東京の会社で仲が良かった友達が、神戸の東灘区という所に住んでいて、あたりまえですが地震の後、電話がつながりませんでした。
それで地震の3日後に水や食料、ガスコンロなどを担いで届けに行きました。静岡の会社を休んで行ったので物資を渡したらすぐに帰って来なければならず、その後のニュースで、「仮設住宅でお年寄りの孤独死」という言葉を何度も聞いて、普段からお年寄りの家を回って歩きたい!という思いがどんどん募って、忘れかけていた鍼灸マッサージの道と結びつきました。
そして会社を辞めて3年間専門学校に通い、国家資格を取って今に至っています。

一見遠回りしてきたようですが、ソフトウェアというパソコンを扱う会社でパソコン仕事をする方の辛さを知り、印刷会社で重い紙を持って肉体労働の辛さを知り、、すべて役に立っていると自信を持って言えます。
今、17年前に願った一人暮らしのお年寄りのお宅を、毎日3件マッサージに行かせていただいてます。マッサージを終わって帰る時には、僕の手を握って離さないおばあちゃん、仏さんのように拝んでくれるおばあちゃん、とびっきりの笑顔で見送ってくれるおじいちゃんにこちらの方が癒されます。この仕事に就いて本当に良かったー!と思える瞬間です。
その他には、酸素カプセル、ゲルマニウム温浴、顔のシワやクマなどを取る美容の鍼や不妊治療など、一人でも多くの患者様に健康で笑顔になっていただく為に、多角的に治療をさせていただいています。