
震災の3日後に尼崎から自転車で東灘区に入りました。
道路は全て割れ、電柱もゼンブ倒れ、倒壊家屋での救助作業の横を通りながら涙が止まりませんでした。
父から「そんな危ない所に行くな!」と止められましたが、「今行かなくてどうするんだよ!」と、生まれて初めて逆らって行きました。
会社(当時は会社員)を休んで行ったので物資を渡してすぐに帰って来なければならなかったのですが、その後「仮設住宅でお年寄りの孤独死」というニュースを何度も見て、『普段からおじいちゃんおばあちゃんの所をまわって歩ける仕事に就こう!』と考え、会社を辞めて専門学校に3年通って国家資格を取りました。
僕が病気をして半年間完全休業するまでは毎日おじいちゃんおばあちゃんの所に伺っていましたが、現在は院内の治療を頑張らせていただいております。
震災を目の当たりにしてから数年は地震の揺れを感じると家が崩れ落ちてくる錯覚で「ワーッ!」と叫んでいましたが、現在は落ち着いて常に備えをしています。
皆さんそれぞれ想い出が有ることと思いますが、僕にとっては人生が変わった出来事。
謹んで鎮魂の祈りを捧げます。